2008年4月10日 (木)

golden wedding

今日4月10日は、自分たち夫婦の結婚50年目にあたる日。(●^o^●)
ちょっと照れて、タイトルを『golden wedding』な~んてしたけれども、経済など条件さえ許せば、いわゆる『金婚式』を盛大にやりたかった気持ちだったんだけれども・・・

このブログを遡った日に書いたように、妻の病気があったが見事に克服し(正直まだ体力的には、元どおりには回復してはいないが、もう心配ない)、長子は、ここ1年以内には満50歳になる筈・・おかげさまで、写真の家族一同ここまでに至ったことは、幸せこの上ないことであった。

幸福感の一方で、ここまで やれやれ やっと といった感じと、もうそんなに経ったのかと いった複雑な感じとが交錯している。

Photo 向かって左から妻・次女(パリに居住・一時帰国中)自分・長女(アメリカ生まれの孫が大学生と、同じく高校生の二人の母)。

記念日とあって、あえて家族一同の写真を公開したことをお許しあれ。

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2008年4月 1日 (火)

新宿御苑の桜

今年の桜の開花予想は、例年より早く 3/26頃と報道されていたのが、実際はこれまた前倒しに早まって、東京の『ソメイヨシノ』は、今日4月1日ほぼ満開のところが多い。
『新宿御苑』の桜は、約65種・1,300本あるとのこと、種類が多いので、ベストシーズンは4月中旬以降まで続くので、これからのものがかなりある。

そんな訳で今日のサクラウオッチングは、『ソメイヨシノ』中心であった。

今日は、桜の開花を前に誕生した『赤坂サカス』の桜も、サクラウオッチングに加えた。

Shinnjyukugyoen1

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2007年3月23日 (金)

六義園(りくぎえん)

きょうは、既に幾度か訪れている 東京都立 六義園(りくぎえん) の“しだれざくら”を主目的に訪れた。「今年は開花が早い」と言い伝えられて行ったのだが、Photo_2

写真のとおり、人出は多かったが、見たところ三分咲き程度だった。

ここは、和歌を基調とした江戸の大名庭園で、特異な雰囲気を醸した「回遊式築山泉水」を中心として、6千余本の植え込みで構成されている。
なかでも、写真の“しだれざくら”は多くの人々が関心を寄せている。ライトアップを行ったり、
Photo_4

写真のようにライブカメラで、見ごろを確認できる便宜も図っているようだ。(無人で左右に動いていた。)

きょうは幸運にも、庭園ガイドさんに一時間余も園内を散策しながら 六義園の見どころ、歴史の話し、和歌の話しなどを聞くことができた。

六義園の名は、和歌の分類の そえ歌、なぞらえ歌、たとえ歌、ただごと歌、いわい歌に由来したものとのこと。りくぎ は、六義を漢音読みで、 りくぎ と読む習わしだったとか。

ここは、徳川五代将軍時代の川越藩主・柳沢吉保が築園したもので、明治時代に入って、三菱の創業者・岩崎弥太郎の別邸なって、昭和13(1938)年に東京都(当時は市)に寄付され、国の特別名称に指定された貴重な文化財である。

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2007年2月 4日 (日)

国立新美術館記念展

Kokuritushinbijyutukan 東京/六本木に「国立新美術館」がオープンしました。

今、記念展“20世紀美術探検-アーティストたちの三つの冒険物語-”  や

この建物の設計者である
“建築家・黒川紀章氏”の世界各国の主要作を紹介して、
“-機械の時代から生命の時代へ-の黒川紀章展-”が開催されています。

「この国立新美術館は、コレクションを持たず、国内最大級の展示スペース(14,000m2)を生かした多彩な展覧会の開催、美術に関する情報や資料の収集・公開・提供、教育普及など、アートセンターとしての役割を果たす、新しいタイプの美術館です。」

と紹介されているとおり、展示の規模や建物の広さ、その斬新さといい、実際に訪れて体験する以外に、紹介する術がありません。

この日は幸運にも、設計者当のご本人で、世界的にMrkurokawaも有名な大御所「黒川紀章氏」とお逢いでき、親しくお声をかけてくださり、握手までしていただきました。

設計された建物作品で、わが国をはじめ、中国、マレーシア、フランス、オランダ、ロシア、イギリス、などの
建物の模型を展示して、創作作品を紹介している絶好な機会に恵まれました。

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2006年10月14日 (土)

神代植物園/秋のバラフェスタ

Dscf0041 東京・調布市の都立神代植物公で“秋のバラフェスタ”がはじまった。

コンサートやライトアップも行われて賑やか。
バラ園は、色とりどりの秋のバラが豪華に咲き揃って、楽しませてくれる。

Dscf0051

今はダリア園もたくさんの花が咲いていてきれいだ。
Dscf0048

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2006年10月 9日 (月)

日本山岳耐久レース ⇒ゴール

10  孫は、眠らず食わず16時間31分55秒ぶっ通しで、 山を走り続けてゴールしました。
ありがとうございました。早朝5時ちょっと過ぎでした。
9時~10時にコース閉鎖、表彰式まで現地です。最年少表彰の見込みです。

今、ブログでは、2004名参加のうち、「727名がゴール」を報じています。36%強。
ゼッケンNO1001の孫「啓成」は、560位、16時間31分55秒でした。

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2006年10月 8日 (日)

日本山岳耐久レース

今日と明日(10)の2日間、東京都西多摩郡奥多摩全山(走破距離71・5km)において行われている「長谷川恒男CUP」=第14回日本山岳耐久レース のことを書かずにおれない。
出走者2004名の中に、出場者中最年少の孫が、夜を徹して、今も真っ暗な山の中を、月の明かりとヘッドランプだけを頼りに、走りながら食べ、眠りもせずに、日本一過酷なレースに挑んでいるのだ。

制限時間21時間、今日午後1時にスタートし、明日10時までにゴールしなければならない。例年の完走率50%と聞いている。いかに過酷なレースかが判る。

今、東京都山岳連盟のリザルトが、第1関門通過、第2関門通過を伝えてくれている。
42kmのマラソン距離を走破し、半分を無事クリアーした。

腹は減ったであろう。水分をしっかり摂っているだろうか。眠くはないか。早く夜が明けてくれないか。無事に終わってくれ。どうしても無理と判断したら、リタイヤするのも勇気だぞ。

第3関門(58キロメートル)を通過した画面を確認するまでは寝られない。そこをクリアーしても、最後の難関は未明にかけて13kmだ!

頑張れ『啓成』!

Photo_1

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2006年8月 4日 (金)

妻の退院。

昨年12月22日に入院し、予想を超えるハードな治療をしてきた妻が、7.5ケ月の闘病生活に終止符を打って、やっと退院することになった。

この難病に打ち克って帰還できた妻を褒めてやりたい。まだ在宅・通院治療は続くが、病院生活とは うって変わって、精神面でも治療効果は、加速度的に治癒に向かう自信はある。

なにをおいても体力回復に全力投球。しかも何気なく・・。無理は禁物。負担にならないようにしながら。でも早くしないと 加齢とおッかけっこだよう~ッ。

うまいもの食って、子供たち、孫全員揃って快気パーティーでした。おめでとう。

Jindaia

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2006年7月22日 (土)

やっと開放!

妻の病状が続くが、昨年12月末入院以来6ヶ月が過ぎて、ようやく点滴・クリーンシステムから開放されることになった。

治療スケジュールは凡そ6ヶ月と聞いていたが、5回のサイクルで続いた抗がん剤投与による副作用で、すっかり体力が消耗し、予定は延びてきた。

白血球1600まで上昇し回復の途上にあるが、3000まで早期に届けば、骨髄検査にこぎつける。その結果で、完全寛解の診断が得らるれば、退院の目途がつくことになる。

梅雨明けと退院が一致すると嬉しい。

2 妻が育てた薔薇。1_1

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2006年7月16日 (日)

久し振りにコンサートへ。

妻の病状は安定しているし、病院も連休で次の治療ステップに進む話もなく、妻の勧めもあって、久し振りにコンサートに行った。

フルーティスト・山形由美のデビュー20周年記念として、ヴェネツィア室内合奏団との演奏で、題して「~ヴィネツィアの光と夢~」コンサートが、東京のど真ん中 四ツ谷の「紀尾井ホール」であった。

自分も フルートを持ち、かつて近くの教室にレッスンに通ったこともあり、しかもこの

山形由美のファンでもあったので、当然 素晴らしいライブであった。

_11_

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2006年7月13日 (木)

“寛解”間近い妻の病状

2月以来の妻の病状。クリスマス・イブに入院後、主治医からやっと退院の目処が示された。5回に及ぶ抗がん剤投与に伴う副作用を克服を褒めてやりたい。体力と時間との闘いは壮絶なものだった。

点滴の針も固くなった血管に入らず、カテーテル導入の決断を迫る周囲も、乗り切る条件を考え共に眠れない日々を過ごし、最良の結果を得て、これ以上の幸せはない。

現状は最後のデータ回復を待つばかり。最後の砦の白血球が100から200へと、ゆっくりとした足取り。感染症・合併症などの不安は以前として付きまとい、エアー・クリーンルームから出られるのはまだ未定。最後をあせってはならない。

  1_2 写真はいつも散歩していた森の今朝の様子

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2006年2月 7日 (火)

妻の治療第1ラウンドの結果。

治療第一ラウンドは、主治医の想定で最良の結果であったと知らせれて、これから3~4度繰り返される 抗がん剤・輸血・血小板 投与なども無事クリアーできると あらためて勇気を得た。
この難病に罹った理由を辿っても、意味の薄いことは判っていながらも、お願いして検査した「染色体異常」は無く、全く正常だったとの検査結果も得られて、一層 二重の勇気を得た。

あとは体力で、年齢的なハンディを克服してくれることだけが頼り。

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今年2度目の積雪。妻が育成中の“バラ”の数々も綿帽子を冠った。

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2006年1月30日 (月)

奇跡的に回復

今日早朝の採血検査の結果が午後に判明するとの連絡で、いつもより早く病院へ向かった。
第1回サイクルの終盤に結果が悪いと、今後の治療計画は相応の覚悟が要ると内心不安で、冬晴れもうわの空だった。
結果は、白血球4000だったとのことでした。これは昨年同期の健康時より上回るものであり、治療の結果だったとはいえ、これで自信をもってよいとのこと。
これで すんなり 第2サイクルに入ることができる。

とりあえず、クリーンルーム装置が撤去され、病室内は一変した。出入りする家族も細菌防護のガウンも、帽子も、マスクも、ゴム手袋も不要とのお達し。
実に手際がよくてあっけに取られる位、あの高熱と“ぐったり”は一体なんだったんだろう。あの厳重さは何だったんだろう。医学の進歩は驚くばかりだと、主治医自らが説明する始末であった。

希望であれば、一時帰宅も許可する由。慌ただしく“クリクリ頭”を覆う「帽子かバンダナを探して」と のたもうた。

パリへ帰した次女曰く「連ドラの最終回みたいにドラマティックだね」とのメールでアングリ・・

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安心したんで、運動不足を補う散歩を試みた。井の頭公園に雪が残る。

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2006年1月27日 (金)

今日のデータの一つ

妻の病状;
今日の採血検査の結果、白血球の数値が1,700まで上昇したとのことで、まずは ひと安心。(健康診断で発見当時;1,870 ⇒ 入院時 1,400 ⇒最悪時 200)

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shinjyukunoyakei2
(パソコン中の部屋の窓から新宿の夜景を撮った)
昨夜は失敗画像を載せてしまったので、再挑戦。ビル名を書き込んでみたが、このピクセルでは読めなくて ごめんなさい。

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2006年1月26日 (木)

化学治療の経過

急性骨髄性白血病は急速に進行して致命的になるうるということなので、治療は強力にする必要から、それにつれて副作用も早く現われることが予想された。
輸血・血小板投与が再び行われている傍ら、脱毛が顕著に目だってきて、敗血症の感染症が少し快方に向かって高熱から開放された機会に、本人了解のもとに頭髪を丸めた。
決断の要ることだったと思うが、いずれ順次進むことであるし、治ればまた元のとおりに戻ることは判っているので、完全治癒を願って、涙を呑んで今日刈って貰った。

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写真を撮る時間はなかったので、窓から見た新宿の夜景です。

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2006年1月25日 (水)

妻の病状

妻の入院が1ヶ月となり、1月6日からの抗がん剤による治療スケジュールが3週間に入った。2週目~3週目に副作用及び関連して感染症・合併症を予告されていたが、実際に40℃に迫る高熱が続くと いささか慌てる。主治医の親切で、詳しい説明を聞くことができた。危険視されていた肺炎はなく、また極めて危険度の高い悪性の菌の感染ではないが、
敗血症の感染は間違いなく、抗生物質投与を強めて経過観察中との事であった。

この敗血症は、最悪6時間で死亡の症例もあるので目が離せない。あらゆる手を尽くしているとの説明で、また今日pm2時頃経過を説明してくれるとのこと。

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大雪の直後の富士山(うちのベランダから撮影)

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2006年1月24日 (火)

遂に心配していた感染症発症

1月21日夜から 39℃.8 の高熱、未明からレントゲン・採血・抗生物質を投与しつつも解熱せず、やっと、翌22日午後になって37℃1 まで下がる。 
しかし、23日になって 38℃6 まで発熱を繰り返す。敗血症にかかっていることが確実となった。抗生物質が効くかどうか?推移を見守っている。

容態が急変することがあるので、要注意。何をしても空ろであるが、辛うじてこのブログ記入で記録しおくことで、好転に役立てばと、奮い立っている。

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パソコンのある居室から見た、都庁など新宿ビル群など。
各所に雪が残り、水蒸気のためかハッキリした画像にならない。

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2006年1月23日 (月)

予告どおりの副作用[2006.1.16]

1月6日より 抗がん剤投与による化学療法が始まって10日が経過し、予告どおり副作用が出始めた。仕方がない滅菌食事をブーイングしていたのが、慣れた頃になって嘔吐から出、顔色が白っぽくなってきて貧血の状態かとみたが、やはり輸血・血小板の点滴がこの日からあり、白血球が減少して、感染症・合併症の心配も出てきたであろう、当分止むなく入室はできなくなった。
急性骨髄性白血病は、急速に進行し致命的になり得ると聞いているので、治療は強力なものと承知はしているが、一番身近にいて一見全く健康に見えたのが、たまたま受けた健診で見つけてもらってから、瞬く間にここまでの難病治療が必要であったかと、不憫でならない。
体のだるさ、じんま疹は間もなくおさまったようだが、白血球が幾分でも戻らない限り、無菌室から出られないのはおろか、当分家族との面会が難しく精神的ケアはどうするんだろう?「頑張れ」と陰ながら祈り、見守るしかないであろうか。

写真は、直接関係ないが、ダイアリー的に出来事を載せたい意味あいで、珍しい大雪の風景として、うちの前の富士街道の雪景色を添付した。(1/21[土曜]の積雪)

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2006年1月22日 (日)

抗癌剤による化学療法開始 [2006年01月06日(金)]

急性白血病は診断された時点で、体内に白血病細胞が1兆個以上存在するといわれている。白血病を治すには、この白血病細胞を完全に消滅させる必要がある。
1週間以上続けると血液中の白血球が暫時減少し、感染症の心配が増大と並行して、副作用も現われるといわれているので、注視していきたい。寛解(白血病細胞を根絶)に向けて順調に推移することを祈るのみ。

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写真は妻が丹精込めたルーフガーデンのバラが、珍しい大雪で雪を冠る。(1月21日の庭の一部)

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2006年1月21日 (土)

妻の治療計画オリエンテーション [2006年01月03日(火)]

入院時に次ぐ2回目のオリエンテーションをお願いして、正月休みにも拘わらず、丁寧に治療方針を説明していただいた。
血液疾患、白血病の専門医である内科医長の先生から、主治医団の3人の先生方がA1グループとして担当すると紹介された。そのチーフの先生から2度目のお話を聞いた。
パリに定住している次女が帰国し、長女の夫と長女の4人で再び説明・質問の時間を持てて感謝しつつ、年末・年始は、即治療を開始して輸血の必要が生じた場合に、血液の確保、医師・看護婦の人手不足等マイナス要因が生ずることを避けたい。よって正月明けの1月6日より、化学療法の抗がん剤投与等を開始することで納得。以下次の日々を病気の説明等に宛てたい。

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